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ひなを発見してからひと月近くたった先日、ようやく巣立っていった。
一度はいなくなったと思っていたのに、また戻ってきてやきもきしていたが、とにかくいなくなってくれてよかった。 土曜日の昼下がり、洗濯機のまわりに残っているハトの痕跡をじゃぶじゃぶと洗い流した。 巣は、小枝や針金などでけっこう頑丈に作ってあったが、ホースの水圧で解体。 小降りになっていた雨もあがって、ベランダもきれいになってとてもすがすがしい。 1週間のうちでもいちばん気分よくすごせる土曜日の夜、いつもにも増してビールが美味しかった。 ところが今朝、「ぽーぽー」という野太い声で目が覚めた。 ……鳴き声が近い。 もしや、と思ってベランダをのぞいてみると、おとなのハトがいる。 ガタン、と窓を揺らすと驚いて洗濯機の下へ逃げ込んだ。 あいつや! 公園などにいる図々しいハトと比べてかなり臆病なあいつや! アンタは出ていったんとちゃうんか! そもそもおとなになったら巣には戻ってこないはずではないか。 せっかくきれいにしたベランダが早くも汚物まみれだ。とほほ。 ひきこもり、ハト界にも波及か…。 なんとかして自立してもらわないと、目の下の隈が濃くなる。。 #
by annin8
| 2005-06-13 19:00
今日は6月6日だったので、
「棒が一本あったとさ…6月6日に雨ざーざー…」の絵描き歌を歌いながら 「かわいいコックさん」を描いてみました。 6人中、正しく歌って描いていたのは2人。 ほかの2人は知らないみたいだった。 覚えていないのではなくて、 知らないっていうのがびっくり。 全国共通で誰でも知ってるものだと思っていた。 この絵描き歌の「雨ざーざーふってきて」のくだりで コックさんのシャツにたてラインを描くのだけど、 (これがまちまちで、というか私しか描いていなかった。 「ざーざー」のときに「ざっざっ」と線をひくのが醍醐味なのに) これってずっとシャツのひだひだのつもりだったが もしかしてサスペンダーなのかもしれない、と気づいた。 あと、「あんぱんふたつ、まめみっつ、こっぺぱんふたつくださいな」 のときに、あんぱんとこっぺぱんがどっち(足と耳)かよくわからない。 むー。 いちばんの問題は、 このコックさん、誰が描いてもかわいくないってことだ。 #
by annin8
| 2005-06-06 23:50
昨日は休日出勤でした。
ぼんやりモニターを見つめていると、 突然「歯医者さんで、目をつぶる?」と聞かれる。 歯医者さん……最後に行ったのは少なくとも10年以上さかのぼるなぁ。 よーく思いだしてみた。 たしか通っていたのは近所にある岡澤歯科。先生はいつもマスクをつけていて、 その脇、あごのあたりに毛の生えたほくろがあった。 「あー、あけてますね」 「そうなんや、なんでなん?」 どうやら歯医者で治療をうけるときに目をつぶるか否か、というのは きっぱりと分かれるらしい。 ときどきつぶる、というひとはいなくて、 絶対につぶるかいっつもあけてるかどっちかなんだそうだ。 (ちなみに私は、美容院でシャンプーされるときも目をあけている。 ジェットコースターに乗っていて、てっぺんから落ちる瞬間も目をあけている。 聞いてきたひとは、いずれの場合も「ぜったいに目をつぶる」のだそう) 目をつぶる派の意見としては、人の顔を至近距離で見るのがいやだし、 もうこのような状況になってしまっては身をまかすしかないので すべてをゆだねる、ということらしい。 いつもあける派(私以外)の意見では、「どうも信用ならない」のだという。 無防備な状態になるのが不安だから、目をあけて気をはっているということだそう。 さらに話がすすむと、 目をつぶるひとは自分を守り、あけるひとは自ら攻撃をしかけるタイプなのだという。 その議論がいきつくと、農耕民族と狩猟民族。 そうなんかなぁ。 私が歯医者で目をあけている理由は、「痛い」のに集中するのがこわいから、だと思う。 こわいのに身をゆだねるのではなくて抗おうとしているのだろうか。 で狩猟民族……どうだろう。 いささか不満。でもうまく反論できない。ぐー。 #
by annin8
| 2005-05-29 22:09
1年くらい前に、テレビで「とても細かい繊維でつくられた最先端の眼鏡ふき」を紹介していた。
その布で洗顔すると、きめ細やかな泡ができることで毛穴の汚れがすっきり落とせるらしい。お肌つるつる。 値段も500円前後だったのでぜひとも手にいれたい!とこぶしを堅くにぎりしめていたのだけど、なかなか売っているところを見つけられなかった。 バスグッズ売り場や、百貨店のハンカチ売り場、眼鏡屋さん、いろいろまわってもどこにもない。店員さんにも通じない。 …という話を友人にすると、しばらくしてから「梅田の紀伊国屋にあった」という情報を教えてもらった。 書店のレジ横。ノーマークだった。 それと似ているできごとがまたしてもあった。 資生堂の情報誌「花椿」を毎月購読しているのだけど、 どうも大阪(梅田エリア)にはなかなか置いてあるところがなくて困っていた。 京都にいたときは、アート系の専門書店に限らずブックファーストとか大垣書店(ってローカルのチェーン店です)とか大型書店にも置いていたのに。 まだ梅田界隈を開拓しきれていないから本屋さんを知らないだけなのかもしれないけど、堂島のジュンク堂にしかない。背表紙のない厚さ数ミリの冊子を、あの膨大な雑誌の海から見つけだすのは容易ではないので(棚がときどきかわるのだ)まぁいいや、と思っていたら、なんと会社の近所の薬局に置いてあった。 しかも店前にあるほこらの横に 。 そのうえ「ご自由におとりください」。 100円とはいえ、買ってたのになぁ。むむ。 これらの出来事から教訓として得られたのは、 探しものをするときは、「ありそうな場所」というのを(これまでの経験や勝手なイメージなどで)限定してしまって目を凝らすのではなく、視野を広くするということだ。 ミクロではなくマクロ。 むずかしい。 #
by annin8
| 2005-05-27 20:30
最近のテーマは「垢抜ける」。
でも「垢抜ける」って、どうすればいいんでしょう? おしゃれな洋服を着るとか、お化粧をばっちりするとか、 そういうことだけではないような気がする。 垢抜けているひと、というのは、身のこなしも頭の回転もスマートで ものいいひとつにすらユーモアと知性が感じられる… 「垢抜ける」というのはひとくちにいえど、かなり壮大なテーマだ。 とある大先輩にご意見をうかがったところ、 「一定レベルの常識や知識、情報を持った上で、 自分のスタイルをつくっている人」 という返答をいただいた。 たとえば分野を「ファッション」とするなら、 基本をわかっていて、流行事情もちゃんと肌で感じていて、 それでいてちゃんと自分のスタイルを確立している、ということ。 「ファッション」のところに、「コピーライティング」とか「ライフスタイル」などを代入すればちゃんとあてはまる。 公式化すると (垢抜ける)=自分らしさ÷(“該当分野”の一般教養+“該当分野”に対する感受性)≧3.0 ※ただし(“該当分野”の一般教養+“該当分野”に対する感受性)は、一定水準以上の量が必要。 とのこと。 ぬー。予想以上に壮大だ。。 垢抜けるなんて今月の目標レベルじゃなく生涯の目標ではないか。 公式化できる、ということは、見た目も、仕事も、暮らし方もすべてがリンクしあっているってことだ。 仕事へ行くのに、毎日おんなじ靴とズボンでノーメイクというのは、 関係ないようにみえて実は仕事の質にも影響を与えているのかもしれない。 まずは形から、ということで、毎日おしゃれに気をくばることにしよう。 基本と流行をちゃんとわかってて、自分スタイル。 なかなか難しい。 #
by annin8
| 2005-05-21 16:29
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