つらつら日記〜かあちゃん編〜
by annin8
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カテゴリ:日々の泡( 30 )
4年ぶりに。
ブログを放置していたら、4年が経っていた。
富士山に登ったのは4年前か。
仕事と読書とお酒で生活が構成されていた4年前、
私はどんな気持ちで過ごしていたのか思い出せない。

こどもがうまれてからは何かについて思考をめぐらす余裕がなくなり、
本を読む時間が激減し、お酒を飲む量もずいぶん減った。
ただ目の前の用事を消化する毎日が続いている。

こどもが生まれてから、ぱーっと視界が広がった気がした。
これまで見ていた世界のまわりには、もっともっとたくさんの風景が広がっていて、
そこにはこれまで知らなかった事象や感情がたくさんあることに気づいた。
こどもをもつ、ということだけで
たくさんの人たちとさまざまな思いを共有することができることに驚いた。
「私はこうやって生まれてきたのか」を体感することは
劇的な意識変化をもたらすほどインパクトのある出来事だった。
ただ、そのシンプルだけど大きな驚きと喜びは
しなくてはいけない多くの用事によって、ただただ流れ去っている。
もっととどめておきたい、けれどとどめておくための時間と気力がない。

ちょうど2年半前(今日は2歳半の記念日だ!)生まれたての赤ちゃんだった息子は
機関車と電車と車が大好きで、走るのが得意な男の子に成長し、
おかあさん、すきだよー!と時々全力で叫んだりする。

生活とは、幸せとか不幸とか意識しないで過ぎていく時間のことだ、
と何かの本にあったけれど、
にこにこしている息子のほっぺたをぷにぷにしているときの私は
まちがいなく幸せだと思う。

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by annin8 | 2014-05-07 17:38 | 日々の泡
謎のピアノマンと、いがいがした滋賀のピアノマン
ニュースで取り上げられていた、イギリスの海岸で発見された記憶喪失の金髪男性が気になる。
なにもしゃべらないけど、グランドピアノの詳細な絵を描くので
ピアノの前につれていくと、プロ級の腕前を披露したという謎のピアノマン。
しかも発見時は黒いスーツを着ていて、そのうえ甘めのマスクだ。
映画みたいやな〜、といっていたらハリウッドが映画化を検討中だとか。
「映画みたいな話」を映画化するとはハリウッドらしいけど。


実は私もピアノを13年習っていたが、もう8年以上鍵盤に触れていない。
うまくもなかったし、いまとなっては習っていたという事実などなかったかのように弾けないのは確実だが、音符はまだ読めると思う。
ピアノを極めるには根性とか努力が必要だけど、もっとも大切なのはもちろん感性。
そのどれもがまるで備わってない私が13年も習っていたのはふしぎだ。

***

数カ月前、関西ローカルの番組で、
「まだ彼氏を親に紹介していない女の子の実家に、その彼氏をつれていこう」
という企画をやっていた。
休日の夕方、ゆるい番組ばかりの時間帯だ。

カップルは、音大に通うかわいらしい女の子と、同じ学校のむさむさした男の子。
つれていく役どころのチュートリアルのふたりも「なんで?」といいたげな様子だ。
彼は、仲本工事とジミー大西の、
なんかのどごしがいがいがするかんじのところだけを抽出してブレンドしました
という外見。しかも挙動不審で、気が小さい。

「彼のどこが好きなん?」とチュートリアルのてかった方が聞くと、
女の子は「待ってました」といわんばかりの、意味ありげな笑顔を見せた。

タタミ6畳ほどの雑然とした部屋の中央に、グランドピアノがある。
彼がおもむろに両手を鍵盤にたたきつけて「バアーーン」と弾きだした途端、
女の子は「これが私の彼氏です」という誇らし気な顔をした(この子ほんとにかわいい)。
総毛立った。テレビ越しとは思えない迫力。
彼の音はすごくまっすぐだった。
(といっても「彼の音」なんていうほどピアノのことわかってないのですが)


『エースをねらえ!』(山本鈴美香作:超名作)で、主人公岡ひろみが「無我の境地での一打」に至るくだりがある。
絶対にこれで決めてやる、という球はどんどん返されるのに、えっこれが?という球に相手は手も足もでないのである。それが「無我の境地で打った球」だ。
たとえば剣道で、面で一本をとるときに「今だ!」と思ってから腕をふったのではすでに遅く、防御されたり逆に小手を奪われてしまったりする(らしい)。
こうしてやろうという思考などなにもない、本当に無の状態になったときに、相手の隙をついた完全な一本が実現するのだという。
タイミングの問題なのかもしれないが、気負いや邪念の届かない聖域だからなんだろう。

彼の音がまっすぐだと思ったのは、彼女やテレビの前だからといって技巧をアピールしている感じでもなく、感情的になりすぎているのでもなくて、「無我」で弾いているように見えたからだ。
じゃあなんか弾いてみてよ、といわれるまますとんと座り、何を弾こうか?と考えるまでもなくつるつると指から曲がでてきたのだ。

その後、彼女の家(格調高い和風の豪邸)にいき紹介されると、案の定ご両親、祖父母は渋い顔。
大切に育ててきたかわいい一人娘が、はじめてつれてきた彼氏にしてはあまりにぱっとしなさすぎる。
父「えっピアノマンなの?見えないなぁ…」
ということで、家族の前で腕前を披露することに。

また、すとんとピアノの前に座り、手を鍵盤にのせると、
今度はすごくやさしい曲を弾きだした。
さっき自分の部屋で弾いた、ダイナミックな迫力のある曲ではなくて、
美しいメロディの、静かでやわらかい曲。
その選曲センスと、きれいな旋律に感動して私はぼろぼろ泣いた。
彼女のお母さんもぼろぼろ泣いていた。

父「彼のピアノ人生を応援したい」
いいなぁ。
純粋でまっすぐな彼と彼女。すてきなカップルだった。
(そして彼は冬なのに、毎日彼女からもらった下駄をはいているのだった)


で、私がピアノに向いていない理由、もうひとつ。
集中力が欠けていること。

13年間の月謝、ムダでしたね。。母よすまぬ。
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by annin8 | 2005-05-19 21:05 | 日々の泡
切り取られた10秒
先日、パソコンの調子が悪いので初期化した(もっと早くすればよかった)。
ちゃんと復活。めでたい。

データのバックアップをとるためデジカメの画像を整理していると
おんなじようなのがふたつあった。
見てみるとそれは写真じゃなくて、デジカメで撮った動画だった。

以前の職場で、椅子の上に置いたラジカセのまわりを
「おかしいなぁ」という顔をしたふたりがうろうしている。
およそ10秒。
それが、ラジオを聴こうとしているのだけど電波がうまくはいらないなぁ、
という場面なのはすぐにわかった。

でも、そのシーンは全然特別ではなくて、
この先思い出すことなどないような、何でもない日常のひとこまだ。

記憶のかなたに吸い込まれて消えてしまう、
ちいさな、ある日の10秒が
いきなり蘇ってきてちょっとびっくりしてしまった。
音もないのに、その時の音やにおいや気持ちも、ちゃんと感じられる。

映像の力はすごい。
目で見たものが蘇る力はすごい。


この作業をしているときに、身に覚えのない書留が届いた。
なんだろう、と開けてみると、5,000円の商品券!
光ファイバーにご加入いただいた方に差し上げています、とのこと。
全然知らなかった!洗剤とラップくれたので満足してたのに5,000円も!

突然、ってうれしい。

これは日常消耗品には使わず、すごく特別なことに使いたい。
でも5,000円ですごく特別なことっていうのはよくばりすぎかなぁ。
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by annin8 | 2005-04-06 20:10 | 日々の泡
春になると、がらりと風景が変わる。
いま住んでいる街へ越してきてはじめての春なので、
ただの木かと思ったら桜だったのか!とか、いろいろと発見があって楽しい。

先日、深夜に会社をでた瞬間にふわっと甘い香りがした。
こんな都心にも春のにおいが、と思ってほんの少しだけいやされた。

ここのところ通勤途中によく教習車をみかける。
多分、春休みだからなんだろうなぁ。
教習車って、免許をもってない私がいうのもなんですけど、
すごくとろい。

3台くらいつらなってとろとろと動いているのをみると、なんだかかわいいなと思う反面、朝、みんなが急いでるときに渋滞になってたりしてちょっと迷惑。

でも、まわりに迷惑をかけながらも、温かく見守られていて
車社会の新入生(新入社員…)、てかんじがした。
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by annin8 | 2005-03-30 17:37 | 日々の泡
かさ
昨夜、雨が少しやんだので自転車で帰っていると
途中で雨足が強まり、けっこうぬれてしまった。
髪からぽたぽたとしずくが落ちてくるので
半分しか目を開けずに急いでペダルをこいでいると、
突然、傘が頭上にあらわれた。

自転車に乗った人が並走しながら傘を差し出していた。
入りませんか、といわれたが、恐かったので丁重に断り
そのあと逃げるように近くのスーパーへ寄った。

そういえばグリコのおまけが「太陽の塔」だというのを
ずっと前に聞いてて探してるのに、全然みつからないなぁ、
とおかし売り場をうろうろして、
明日ゴミの日やったわ、と思い出してゴミ袋を買って、
表に出ると、私の自転車に傘がかかっていた。

しばらくうろうろしてどうしようかと思ったけど
雨は降っているし、まだ家までしばらくかかるし、
傘をさして帰った。

見知らぬひと、どうもありがとう。
こわいひとかいいひとかは、一見わからないので
とりあえず、都会で一人暮らしをするにはこわがっとくしかない、
というのは、ちと寂しいような気がした。
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by annin8 | 2005-03-04 10:16 | 日々の泡
まちがい
よく言い間違えることばがある。
言い間違えたかのようだけど、実は思い込み間違いだったということばも結構ある。

大学時代、ゼミ発表前日に友人宅で打ち合わせをしていたときのこと。
さっきから何回も「しきたり」のことを「したきり」と言っているので
本番では間違えないように、と指摘されるまで間違っていることに気付かなかった。
ちゃんと意味もわかってて「しきたり」と書かれてある文字を音読しているだけなのに、頭の中で「したきり」だと思い込んでいたのでどうやっても「したきり」と言ってしまうのだった。困った。
結局本番では間違わないように赤で印をつけていたのを見て
笑いそうになったため友人に怒られてしまった。

あんまり普段の会話にはでてこなくて、濁点がついているのに弱い?みたいだ。
たとえば、
○「はびこる」→×「はこびる」
○「あわただしい」→×「あわだたしい」
○「したつづみ」→×「したづつみ」
…これらはどっちが正しいか瞬時にはわからない(いま辞書で調べた)。
こんなんで大丈夫かなぁ…。
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by annin8 | 2005-02-07 00:22 | 日々の泡
さかなになる
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子どもの頃、スイミングスクールに通っていた。
幼稚園のときから小学校を卒業するまでの間だから、7年間くらいか。
だから今でもプールでなら上手に泳げる(海ではまるで泳げないんである)。



大会のときやタイムを測るときは必死だからあてはまらないのだけど、
練習なんかで長距離を泳いでいると、だんだん自分が何をしているのかわからなくなってくるときがある。
同じ文字を何回も書いていると、それが文字に見えなくなってくる感覚に近い。


腕や足を動かして、首をまわす、という単調な動きをくり返すと体の感覚がなくなってくる。そして自分は、意識のかたまりのようなものになって(幽体離脱したみたいな)、水色の景色を見ながら昨日の学校での出来事を反芻したり、今日の晩ごはんがコロッケだったらいいのに、みたいなとるに足らないことをぼんやりと考えているんである。
視覚と思考だけ。意識と体の分離。

魚みたいだ、と思う。
きっと魚には、私たちのように「自分はこんな形をした物体である」という体の感覚はない(推測)。ただ、意識だけがそこにある、ようなかんじ。まぁ魚があれこれ思索をめぐらせることのほうがないような気がするけど、ただ、私が感じていた「自分が“意識のかたまり”になったような感覚」は、体が無いというよりは、だ円の立体、なんか魚の形に近い物体になっているような気がする。


先日、あるお宅へ取材でお邪魔した。
そこは、自宅の一階が中国茶のカフェで、建物は100年以上たった民家を改装しているものだった。よくある町家カフェ、というのとは趣が異なり、白壁に漆喰の柱の空間に、流木風の大きい幹の上にガラス板を置いたテーブル、高級中華料理店にありそうな、木製で黒光りしていて重たく、すごく細やかな透かし彫りが背もたれのところに施されている椅子、モダンな掛け軸、ちょっと隙間があるけど味のある格子窓。うーん、よくわからんけど独特の雰囲気なんだが、その部屋の奥に、庭に面していて床の間がある(もとは和室だったようだ)一室があった。その部屋も飲食スペースなのだが、その空間に立ったときに意識のかたまりのようなものになった。
たぶん感動したんだと思う。たくさんいろんなものを吸い込んできた古い窓枠の具合や、庭の景色や光の具合やオーナーの思想や、木の肌触りや欠けた壷の中にいる金魚や、その空間全体とそのときの一瞬に。
なんでかはわからない。もう一度いってもちがうのかもしれない。

そのとき、泳いでいた時の感じに似ている、と思った。
ぼんやりしているのと、衝撃をうけているのとではまるでちがうのに、体の感覚は同じ。
ふむ。

なんだかよくわからない話になってしまった。
こんな時間まで会社にいるせいだな、きっと。
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by annin8 | 2005-01-22 01:57 | 日々の泡
オ…オからはじまっていたような
今日、カッターで指を切った。
たいしたことはないのだけど、血がなかなかとまらないのでばんそうこうできゅっとしめた後にティッシュでぐるぐるまきにした。
そうすると、指の先が通常の3倍くらいにふくれあがった。
これが、何かに似ている。
細くてひょろ長く、頭がでかくてピーナッツの上半分みたいなかたち。
ニューハーフかおかま(違いがよくわからないけど)で、つまり男なのだが化粧が濃く、確かコンビだったはず。
なんだったっけ…と、今日は一日中悩んでいた。
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こんな人たち。
ぐー。思い出せない。
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by annin8 | 2004-12-27 23:19 | 日々の泡
不調
すっかり忘れていたが、そういえば家に光ファイバーがやってくるはずだった。
頼んだのは10月中ごろで、担当者のKは「11月中ごろになるんですけど…」と申し訳なさそうにいっていたくせに、もう12月中ごろだ。
うんともすんともいってこない。きー!
文句のメールをうったが返事はこず。
家にネットがつながらなくても全然不便ではないので別にいいけど、
担当のKが派手で要領がわるくてだめだめなやつだったので、余計に腹がたっている。

最近、紙で指を切った。
右手人さし指の爪と肉の間をすぱあんとざっくり切った。
いま思い出しても鳥肌がたつほど痛く、それ以来、紙のふちに触れると
腰の両脇らへんがぞわぞわする。
紙こわいよー。

先日、よく昼ごはんを食べにいく定食屋(喫茶店?)に行った。
その日の日替わりメニューは「白菜ロール」。
頼んでみたら、白菜に包まれた中身はしいたけ。
no moreしいたけ!
しいたけだけは(だけではないが)だめなのに…。
その日の昼ごはんは白御飯とつけものと味噌汁と数枚の白菜というわびしいものだった。

最近ついてないので宝くじを買った。
ついてないときに買ってもあたらないかもしれないけど。
「バラと連番どっちにします?」とお店のひとに聞かれたので「どっちがいいんですか」と尋ねると、「確率はいっしょですけど、あたるとバラが1億で、連番だと2億です」といわれた。余計にどっちでもよくなったので、とりあえずバラで10枚買った。

テレビの上に置いた宝くじを見ていると、なんだかついてないなぁという気分がしゅわしゅわと消えていった。そういう効果を享受するだけで満足しよう、と思うことにした。でもあたって欲しい。
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by annin8 | 2004-12-14 21:39 | 日々の泡
てぶくろ考
ようやくてぶくろが“置かれている”季節がやってきた。

“置かれている”のは店頭や家の中ではなくて、歩道橋の手すりやポストの上や、駅のゴミ箱の上だ。

たとえば他の落とし物だったら、誰かが拾って届けたり悪い人が懐にいれたりするし、取るに足らないものだとゴミとして捨てられてしまう。
けど、てぶくろ(のかたわれ)はなぜかその場にとどまっていて、そのうえ地面ではないところにぽつんと置かれているのである。

誰かが落としてしまった片方だけのてぶくろは、人の目にかなしく映る。
てぶくろが踏まれてどろどろになってしまう姿や、「あっ、かたっぽなくなってる」と気付いた持ち主を思うとなんだかしのびない。
届けるほどのものではなく、持って帰ろうとも思わない。
まったくの善意で、てぶくろは誰かによって拾いあげられるのである。


そんな冬の風景を見るとやさしい気持ちになる。
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by annin8 | 2004-12-09 22:17 | 日々の泡